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最適化された世界は、君を幸せにするか?

「今の技術の進化は、物事の本質を見すぎている」

このひと言が、とても印象的だった。
あるエンジニアさんと、「完全に最適化された世の中は、本当に人を幸せにするのか?」という話で盛り上がった。


最近、めっきり便利になった。
好きなアーティストの曲も、スマホでタップするだけで、その場ですぐ聴ける。
ストアにアクセスして、検索して、購入して、DLして。ものの数分で手に入る。

だけど私たちは、曲さえ聴ければそれでよかったんだろうか?
発売日にCD屋さんに行き、ドキドキしながらお目当てのCDを探し、発見した時の嬉しさ。
手に取って、ジャケットを見て、「そう、これが欲しい!よし、買うぞ!」という実感。
早く聴きたいとワクワクしながら帰路を急ぎ、CDをセットし再生されるまでの緊張の一瞬。
そしてようやく流れ出すメロディ。待ちに待った至福のとき…。


私たちはこうした体験も含めて、それぞれの人生の風景の中で、音楽を楽しんでいたのではないか?
ただ曲が聴ければよいのであれば、音楽は”聴く”以上のコンテンツにはなれない。
本質だけを追求していったら、コンテンツの価値を限定してしまうのではないか。
あらゆる無駄が省かれたコンテンツは、楽しむ余地を見出せないのではないか。
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便利になった方がよいこともある。
私がいつも身につけているウェアラブルバンドのUP3は、1日の歩数や食事の栄養素や睡眠の質を自動で記録して、最適なアドバイスをくれる。
歩数を数えたり、食材の栄養素を調べたり、睡眠時間を記録するのは、省けたら嬉しい手間だ。
でも、どこまでが技術に任せてよい作業で、どこからが自分の意志で行うべき体験なのだろうか。


多忙な人は 「食事をする時間が無駄だ」と言う。
「食事」 を最適化していったら、生きるために必要最低限の栄養素だけを一瞬で取り込み、咀嚼効果を得て満腹中枢が満たせればよい。
でも、それは本当に望まれる最適化なんだろうか?
果たしてそれで、人は幸せになれるのだろうか?


人工知能、という技術がある。
学習を重ねることでどんどん成長していく。
未来を感じる。これからますます発展していくと思う。
人間が頭で考えてトライ&エラーしていたことを、データを基にベストプラクティスを出していく。
そしてどんどん、人間が要らなくなる。

生きることの本質とは、死ぬことなのか?それが世界の選択か?
否。数十年後には、無駄を楽しむことが、生きることの本質になっているかもしれない。
未来も正解も分からない。過去のデータから人工知能が導き出せるほど、世界はロジカルではないはず。


某社食での貴重なランチ、キャッキャうふふで楽しむつもりが、思いのほか哲学的なトピックに夢中になり、味は二の次になってしまった。

google社食ランチ。ここで暮らしたい..... #lunch

べにぢょさん(@lovecall)が投稿した写真 -


でも、とても有意義で楽しいランチタイムだった。
「食事」 の本質は、栄養の摂取だけではない。
一緒に食べる相手、会話、環境、状況。
余裕がないコンテンツに発見はない。

技術は魅力。人は堕落する。
けれど、便利になれば幸せになれるわけではない。
このブログも、高度に訓練された人工知能が書いた方が、面白くて読みやすいのだろう。
でも、私はそれを望んでいるのだろうか? そのことをちゃんと、考えなければならない。



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lovecall.hatenablog.com

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